2002年5月、量産化のめどが立ち、プロジェクトが一段落した段階で、彼は日本に帰国した。アメリカを離れるにあたっては、後ろ髪を引かれる思いもあったが、後進に道を譲りたいという想いもあった。 プロジェクトを振り返り、彼は言う。 「コンセプトづくりから、完成品として世に出るまで、ひとつの製品の開発に丸ごと携わるというのは、自動車メーカーであれば、ごく限られたトップエンジニアにしか携われないような仕事。今回の上下二連銃「CYNERGY」の開発は、エンジニア冥利に尽きる経験でした。 ルソー、ポッターという一流の仲間と一緒に仕事が出来たことはもちろん、現地のユーザーとも交流を図り、鹿狩りも経験するなど、本場の銃文化に触れることが出来たことも、私にとっては貴重な経験でした。 アメリカに行く前は、何か製品を開発するにあたっても、まず製造上の制約が先にありきで、“ここまでやれば充分だろう”という考えに陥りがちだった。それが、向こうの空気に触れ、人に接してみると、“ユーザーがこういうことを求めているなら、ここまでやらなければ”という発想に変わってくる。内面的にも、またグローバルな面でも、エンジニアとしての視野が大きく広がったと思います」 エンジニアとしての今後の抱負について、彼はこう語る。 「“こんな製品をつくりたい”という目標は、特に持っていません。与えられた課題と条件の中で、最善のものを生み出すのがエンジニアの仕事。どんなに素晴らしい製品をつくっても、完璧ということはないですからね。私が目標とするのは、自分自身が満足できるエンジニアになること。自分が望むレベルに達したと感じた時、初めて自分自身に“よくやった”と言えると思う」
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